大判例

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東京高等裁判所 昭和48年(ネ)302号 判決 1976年4月21日

控訴人 小菅ミツ子

<ほか二名>

右三名訴訟代理人弁護士 飯塚計吉

右同訴訟復代理人弁護士 飯原一乗

被控訴人 小山憲三

被控訴人 園崎秀吉

右両名訴訟代理人弁護士 高田利広

右同 小海正勝

主文

本件各控訴はいずれも棄却する。

控訴費用は控訴人らの負担とする。

事実

控訴人らは、「原判決を取消す。被控訴人らは、各自、控訴人小菅ミツ子に対し金五七八万三一七二円、同小菅敏信及び同小菅武光に対し各金五二八万三一七二円並びにこれらに対する昭和四三年七月三〇日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。」との判決及び右第二項につき仮執行の宣言を求め、被控訴人らは、控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上の主張及び証拠関係は、次に附加する外、原判決事実摘示と同一であるから、これを引用する。

一  控訴人らは次のとおり述べた。

(一)  被控訴人園崎の義務違反

1  麻酔前六時間は一滴の水も一片の食物も口にしてはならないことは絶対に守らなければならない鉄則とされ、これに反した場合は肺炎とかショック症状を起すことが多く麻酔事故の最多原因といわれている。

被控訴人園崎は本件施術に際しプロカインで第四、第五突起間皮膚及び皮下に局所麻酔を行ったものであるが、小山病院では、保信には事前になんの注意もなく、検査当日の午後四時三〇分に夕食を配り、同人はその全量を摂取した。

2、脊髄造影術後には最低三十分間は仰臥位で患者を安静に保たせねばならない。仰臥位とする際には、頭部を下げると造影剤が頭蓋内へ上行するおそれがあるから、決して頭部を下げないように注意し、ベッドを三十度の傾斜にしておく必要があるとされている。

小山病院では、保信を安静に保たせず、午後六時三十分頃終了した検査直後に、レントゲン室のある一階から病室のある二階まで患者自身を歩行せしめた。このとき看護婦の付き添いもなかった。また、病室に帰ってからベッドで安静を保つべく指示もなかった。とくに、本件造影剤注入は後頭下から施行されているのであるから、造影剤が脳室腔内に入ったことは明白である。

3  保信がけいれん、呼吸不能、チアノーゼのとき、被控訴人らは同人に経鼻的に酸素のみを与えたが、呼吸ができない患者に経鼻的に酸素を与えても酸素は肺に入らずまったく無益である。患者の呼吸運動が弱い場合は補助呼吸か調節呼吸にしなければ患者体内の酸素不足は解消されないにもかかわらず、被控訴人らはこれを全く行っていない。しかも、被控訴人らは呼吸困難のあるときにモヒアトを注射しており、これにより保信の呼吸中枢はますます抑制される結果となったものである。

また、小山病院は外科を専門とするから、保信が右のような病状である以上患者の容態を観察しながら適当な時期に保信を適当な病院に転院させあるいは他病院から有能な医師を呼ぶべきであったが、被控訴人らはこのいずれの措置もとらなかった。

(二)  被控訴人小山の義務違反

1  前記(一)の3後段のとおり、被控訴人小山は、保信がけいれん、呼吸不能、チアノーゼの病状があるにもかかわらず、保信を専門病院に転院させあるいは専門医を呼ぶ措置をとらなかった。

2  保信は肺炎ではなく肺水腫であったと考えられる。呼吸不全、全身性アノキシア等が心不全の発生をうながし、多量の輸血が肺水腫の発生を助長したもので、従って、気管内吸引、気道の確保、輸血の制限、強心・利尿剤の投与等をすべきであったが、被控訴人小山は肺炎と誤診しその治療方法を誤ったといわなければならない。

被控訴人小山は保信を肺炎と診断するについては胸部レントゲン検査、血液の検査、喀痰の検査、心電図検査、尿の検査を全く行っていない。

被控訴人小山の専門は外科であるから、他の専門医の診察を求めるとか、他に転院させることも考えねばならなかった。仮に自ら診察するとしても、専門医以上の注意を払い、より入念に検査をすべきものであった。

3  七月二八日被控訴人小山は保信に対して何らの診察をしていないし、治療も施していない。保信には二七日と二八日、とくに二八日には血性泡沫状の喀痰を出し、ぜいぜいするという顕著な症状がみられた。被控訴人小山としては、右症状の原因を注意深くたずね、その治療に遺漏なきを期すべきであった。看護婦の報告を聞くだけで医師としての注意義務を果したとはいえない。

もしそれでよいとしても、担当看護婦の観察の仕方、報告の仕方に誤りがあったということになるが、履行補助者の過失は被控訴人小山の過失である。

(三)  被控訴人らの責任原因

1  被控訴人園崎につき

被控訴人園崎は前記注意義務違反によって不法行為責任を免れないものである。

2  被控訴人小山は、同園崎の雇主であり、被控訴人小山と保信との間には医療行為の給付契約があったのであるから、被控訴人園崎の過失行為により不法行為及び債務不履行の責任を負い、また、被控訴人小山自身の過失行為により不法行為及び債務不履行の責任を負うものである。

二  被控訴人らは、控訴人らの右主張を争い、被控訴人らには義務違反はなく責任はないと述べ、次のとおり述べた。

(一)  被控訴人園崎の義務違反につき

1  控訴人ら主張の食事と本件ショック、脳にもれたこと、本件肺炎とは全く関係がない。術中術後に患者が嘔吐したり嘔吐物を気管内に誤飲しなければ食事の影響はないものなのである。

2  本件マイオジールは髄液比重は重くもちろん下行性の薬剤であって上行して脳室に入るものではない。

また、本件マイオジールはことさら脳室造影に使用されているものであって脳室に入って障害を来すものではない。本件副作用は本件マイオジールが脳室内に入らなければ生じえないものではなく、注射によるショックで、血圧が低下しあるいは呼吸が停止し、血液中の酸素が欠乏したため、脳障害が起ったものと考えられる。

被控訴人らは、本件検査施行後、レントゲン室内でしばらく経過を観察したうえで大丈夫と判断し歩行を許可したものであって、独歩させたことは、担架に乗せて階段を上るよりもむしろ安全であると判断したからである。下降性造影剤は頭部を高位に保ち、比較的安静にしていれば問題は起らない。帰床後も頭部をやゝ高めにし臥床するよう指示したことはいうまでもない。

3  被控訴人らは患者に対して経鼻的に酸素を与えたのみではなく、マスクによって補助呼吸を行い、自動的に呼吸が困難なときは他動的に酸素を補給したものである。また、サクシン(筋弛緩剤)も適宜使用し補助呼吸を有効ならしめた。モヒアトが悪影響があったとは考えられない。モヒアトの他に筋弛緩剤によってけいれんを除き、補助呼吸を行ったのであって、呼吸中枢の働きを云々する状況ではなかった。二五日には正常の呼吸をしていたのであって意識もほゞ清明となっていた。

(二)  被控訴人小山の義務違反につき

1  控訴人らの肺水腫及び肺炎誤診の主張は、民事訴訟法第二五五条により主張しえざるものであるか、同法第一三九条により時機に遅れて提出された攻撃であって、到底却下を免れないものである。

本件死因が肺炎であったことは、剖検によって確認されている。急性心不全は少くとも臨床的には認められていない。二五日早朝以来心音は正常で血圧良好であった。けいれん発作により心不全が生じたとは考えられない。

2  二八日は日曜であった。勤務は、当直医一名と看護婦二名が当っており、被控訴人小山は自宅(病院隣接地)におり、必要のある場合は出向できる待機の状態にあった。被控訴人小山は、保信については前日と大差なしという看護婦報告に基き前日と同じ処置を指示した。それ以後、当直看護婦は、検温などで患者の容態を見てまわるが、その際特に咳嗽が強くなったとか、呼吸が苦しそうになったとか、熱発があるとかその他異常を認めた場合は当直医に報告して必要に応じては院長に報告することになっていた。しかし、保信についてはそういう状態はなかった。

二九日朝、咳嗽は減少したが、ぜいめいが強いというので診察すると、呼吸促進し、肺炎所見著明になったので、酸素吸入、点滴注射、抗生物質を強力に使用した。しかし、症状増悪が特に速く、同日午後零時三五分不幸死亡に至ったものである。

≪証拠関係省略≫

理由

当裁判所は、控訴人らの本訴請求は理由がなく棄却されるべきものと判断する。その理由は、次に附加する外、原判決理由説示と同一であるから、これを引用する。

一  本件マイオジールについて

本件マイオジールは、原審認定のとおり、良質で安全性に富むものであって、これを用いての脊髄造影術によって本件のようなショックの副作用が起きることは現在の医学上の常識とはされていず、被控訴人園崎が事前テストをしなかったことに過失はない。当審における全証拠によってもこの認定を左右することはできない。≪証拠省略≫によれば、造影剤一般の心臓血管作用としては心筋抑制作用、心拍出量増加作用及び末梢血管拡張作用があること、脊髄造影術は種々な神経障害を起す原因になるので必要に迫られたときのみ応用するのがよいこと、海外における油製造影剤で脊髄造影を受けた者の追跡調査によれば造影剤の遺残を認めた者が多く一部には両側麻痺、尖足を起した者もあること、ヨード造影剤ウログラフィン及びビリグラフィンの脊髄腔注入により全身痙れんを起して死亡した例があること、脊髄腔造影剤の脊髄腔内残留による後遺障害の例がみられること、造影剤ウログラフィンについては使用前に皮内反応又は静注法検査を行うことが米国学派では広く行われているがわが国では一般に行われていないこと、マイオジール脳室写の副作用として頭痛、発熱、嘔吐、頸部強直、頭蓋内圧亢進症状、髄膜刺激症状を示した例があること、ヨード含有造影剤も薬物性ショックの原因となりうることが認められる。しかし、右各事実は、マイオジール以外の造影剤に関する例であったり、本件ショックとは異る後遺障害の例であったりするもので、マイオジールの使用が本件のように脳障害をもたらすようなショックを生ぜしめることを示すものではない。

二  本件診療の経過について

本件診療の経過は、原審認定のとおりであるが、なお、≪証拠省略≫によれば、次のとおりの事実が認められる。

被控訴人園崎は、本件施術に先立ち、保信に対し手術の必要及び脊髄造影検査の必要を説明し、保信は右検査については恐怖感を抱くこともなく、七月二四日に右検査を行うことが決まった。

手術当日午後四時半ころ保信は夕食を摂取し、同五時半ころ被控訴人園崎は保信に対しプロカインで第四、第五突起間皮膚及び皮下を局所麻酔した後、腰椎穿刺の方法により本件脊髄造影を行った。

右造影終了後、同被控訴人は、保信の状態を見て大丈夫と判断し、同人を二階の病室まで歩いて帰らせたが、その際病室では頭を高くして安静を保つよう指示した。保信は病室に帰って後肋間筋、横隔膜に痙れんを起したため、被控訴人園崎はモヒアトを注射し、次いで酸素吸入、点滴を行ったが、当時呼吸中枢麻痺の症状はなかった。

翌二五日から二七日までの保信の症状は、原審認定のとおりであって、二八日も前日同様咳及び喀痰がみられる症状であったが特段の異常がなかったので、看護婦から被控訴人小山に対する特段の報告もなく、同人は同日は保信の診察は行わなかった。

二九日には、保信は原審認定のとおりの症状を呈し、被控訴人らは酸素吸入を行い、人工蘇生器を使用し、心臓マッサージを行う等したが、結局、保信は肺炎により死亡するに至った。

以上のとおり認められる。

(一)  保信は、造影術前食事をしているけれども、術中術後に嘔吐、吸飲したとは認められず、このことが本件痙れん等の原因であるとは認められない。

(二)  本件マイオジールは、原審認定のとおり、比重は一・二四八ないし一・二五七の下行性の薬剤であって、術後歩行したからといって脳室内に入ったものと推認することはできないし、≪証拠省略≫によればマイオジールはもともと脳室造影にも安全に使用されるものであるから、保信の右歩行によりマイオジールが脳室に入ったため痙れん等の症状が生じたものとみることはできない。

(三)  被控訴人園崎がモヒアトを注射した二五日には、保信には呼吸中枢麻痺はなく、翌二五日から二八日までの間には保信の呼吸状態は回復していたものであるから、この点については被控訴人らに過失はないし、保信を専門医に診せなかったからといって責められるべきものではない。

(四)  保信の死因は前記認定のとおり肺炎であって、肺水腫であったと認めるに足りる証拠はない。≪証拠省略≫によって保信の死因が肺水腫であったものと認定することはできない。したがって、保信の死因が肺水腫であったことを前提とする控訴人らの主張は理由がない。

(五)  二八日には保信の症状は前日同様特段の異常はなかったのであるから、看護婦が被控訴人小山に対し特段の報告をせず、同人が保信を診察しなかったことは責められるべきこととはいえない。

三  以上のとおり、被控訴人らには控訴人ら主張の過失はなく、また、原審及び当審認定の本件診療の経過に照らすと、被控訴人らには診療上の過失はなかったものと認められるから、控訴人らの本訴請求は理由がないこととなる。

よって、控訴人らの本訴請求を棄却した原判決は正当であるから、本件各控訴を棄却し、控訴費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九三条、第九五条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 渡辺一雄 裁判官 宍戸清七 裁判官大前和俊は転補のため署名捺印することができない。裁判長裁判官 渡辺一雄)

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